産業遺産 羽幌炭鉱を巡る

羽幌町

~「栄光」と「衰退」の歴史に触れるヤマの遺構~
vol.7
道路脇の貯炭場。「羽幌鉱業所」の看板は風化して殆どが抜け落ちている
建物内部の階段。老朽化が著しく、昇る度に不安定に揺れ動く
運搬立坑の巻上室。残されたままの大型巻上機や操作盤
10月29日、「産業遺産・羽幌炭鉱跡を巡る周遊ツアー」に参加した。
石炭産業で栄えながらも、時代の流れと共に衰退し、廃墟と化した「羽幌炭鉱」の現地探索を行った。

羽幌町市街から東へ。人家も途絶えた山間部に、ひっそりと残された廃墟群「羽幌炭鉱跡地」があった。
かつて、そこには鉄道が通り、学校や団地が建ち、1万人以上の人が暮らしていた。
1940年に開鉱した羽幌炭鉱は、羽幌本坑、上羽幌坑、築別坑の3地区で石炭を採掘していた。
「煙の少ない良質の石炭」と評判が高く、家庭用炭として使われたほか、旧国鉄や、北海道電力にも出荷された。
ピーク時は年間114万トンを出炭したが、「石油」の台頭で、石炭産業は急激な衰退期を迎え、多くの人がヤマを離れた。斜陽産業と化した羽幌炭鉱は、1970年、ついに閉山を余儀なくされた。

羽幌炭鉱跡地の建物群の一部が今もなお、残っている場所がある。
今回の周遊ツアーでは、羽幌炭鉱3地区の1つ「羽幌本坑跡地」を探索した。
ガイド兼ドライバーの工藤俊也さんの解説付きで、今回は特別に許可を得て、貯炭場や選炭工場、運搬立坑を巡回した。
羽幌郷土資料館より、車で15㎞ほど山に入ると、道路脇に貯炭場が見えてきた。
長年の風化により、壁は色褪せ、看板が抜け落ちている。
車を降りて周囲を見渡すと、外壁が崩れた選炭工場と、その背後には巨大な運搬立坑がそびえ立っている。
これらの遺構は「遺跡」というべきなのか。
草木に埋もれ、自然に朽ちた全貌は、芸術とも見てとれる。
炭鉱操業時は、石炭貨車が連なり、機関車に牽引されて留萌港へと運ばれて行ったのだろう。
周囲の遺構を前に気持ちが高ぶりながらも、本坑周辺の探索が始まる。
小高い山道を少し歩き、運搬立坑の直下へ到着した。
目前にそびえる全高39メートルもの巨塔は、思わず見上げてしまう高さだ。
早速ライトを照らしながら立坑内部へと入った。1階坑口の階段を上り、最上階の5階巻上室に到達。
昇降用の大型巻上機や、制御装置、操作盤などが当時のまま残されており、立坑の要であったことが窺える。
続いて立坑下に併設された事務所跡へ移動。運搬立坑入坑口には、多くの坑夫が働いていたと思われるタイムカードの銘板が今も残されていた。

外に出て再び羽幌本坑周辺を見渡す。
石炭産業の黄金時代を謳歌し、一瞬の内に廃墟と化したヤマの遺構は今、木々に覆われ、ひっそりと眠っているようだ。
しかし、時を重ね、朽ちてもなお堂々と佇むその全貌は、そこに「炭鉱」が存在し、人々が暮らしていた事実を
物語っている。
外壁が崩壊した選炭工場。自然の風化で朽ちたその風貌は、まさに「遺跡」といった感じだ
立坑下に併設された事務所跡の通路。壁一面にタイムカードの銘板が並ぶ。多くの従業員が働いていたようだ
 
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