増毛山道体験トレッキング

増毛町

~増毛山道 蘇る道を歩く~
vol.3
別苅側にある標。体験トレッキングは、この場所からスタートする。
「大日本麦酒(現在のサッポロビール)」のロゴがあったビール瓶。
電報などを送るために使われていた電信用の電柱。現在は使用されていない。
7月16日午前7時、参加者24名。案内役を先頭にルートを歩きはじめた。天気が良ければ眼下には日本海、見上げれば暑寒別岳が見えるのだが、この日はあいにくの空模様。しかし湿った木の葉は絨毯の様に靴底に心地良い。笹が刈られた道幅1メートル程のルートをはずれれば、そこは険しい山中。時折見かける熊の糞に、ここが山道であることを思い出す。
2時間ほど歩くと、朽ちかけた木柱が現れた。険しさの増す道をさらに歩くこと3時間。ルートのほぼ中間に位置する「武好駅逓(ぶよしえきてい)※1」跡に到着した。すでに建物はなく、かつてここで逓送人(ていそうにん)※2が郵便物を交換し、宿泊にも使っていた拠点であることを物語るのは、周辺に点在するビール瓶や三平皿のみである。
後半は前日までの雨で水かさの増した川を越え、急な下りはロープを伝って降りるなど、さらに険しさが増す。参加者はただ黙々と目的地を目指す。午後5時、数時間ぶりに見た「人工物」の木橋を渡り、待機していた山道の会メンバーと再会。ようやく目的地の岩尾に着いた。
今回の体験で、先人達がいかに険しい山道を使っていたのかを、身をもって知ることができた。山を登り、過去を探索するこの体験トレッキング。夏、秋の山道に出会うため、再び参加したいと思う。
※1 駅逓:郵便局の旧名
※2 逓送人:郵便物を運ぶ人

増毛山道とは

 増毛山道は安政4年、増毛の漁場を請け負っていた伊達林右衛門(だてりんえもん)が私財を投じ、増毛町別苅から石狩市浜益区幌までの約37キロを切り開いた道。江戸末期から昭和初期にかけて使われていたが、険しい道であったために往来が減り、次第に忘れ去られた道となった。平成20年、伊達林右衛門の直系である伊達東さんの呼びかけで、増毛山道の会が発足。山中に埋もれた道を復元するべく、山に入って笹を刈り、歩けるように整備した。現在は、増毛町別苅から岩尾までの約16キロを復元している。

この体験プログラムは、増毛山道の今後の利用のあり方の検討資料とするために開催するものです。参加者の方には実際に歩いてみての感想などのアンケートにご協力をお願いします。

 
(C)2011- Hokkaido Government RUMOI Subprefectural Bureau All Rights Reserved.