旬の人
百年の志を受け継ぎ歩む
田中 克子さん(留萌市)
大和遠州流は小堀遠州公を流祖とする茶道の流派。
江戸時代初期に始まり、武家茶道の精神は現代へと続いでいる。
十八代家元が留萌に文化の灯をともしたのは、今から百年前のこと。

明治43年11月、留萌本線開通のその日、一人の女性が幼子の手を引き、留萌の地に降り立ったのが始まりだ。後に大和遠州流十八代を継承する 蓼沼 ( たでぬま ) ナオ、そして十九代の 蓼沼 ( たでぬま ) トミ母娘であった。
当時の留萌はニシン大漁の興奮の中にあり、千金の夢をその銀鱗に賭けた人々がいる一方で、茶華道や洗練された文化の教授を求める階層の人々も増えていた。裕福な家の子女だけではなく、花柳界に生きる女性達も熱心に茶道を学んだ。「裕福な人はお茶を習わなくても、礼儀作法を学ぶ機会はある。そうではない人々こそお茶から学ぶことが多い」と語った十八代。その優しさと強い信念の言葉を伝えきいた田中克子さんは心打たれた。

大和遠州流と田中さんの出会いは20代の頃。数十年後、支部長の責務を担うことになるとは思いもよらずに気軽に踏み込んだ世界だった。「道のつく精神が好きなのかもしれません。」男性的ともいえる点前の所作も性分に合っていると感じている。
亭主は客の身になり、もてなすという心、これは田中さん自身が信ずるところだ。「美味しかった、楽しかった」と感じてもらえるお茶を心がけ、精進している。

田中さんの元に通う門弟には子ども達もいる。お菓子を楽しみで通うのもいい、次の世代に大和遠州流の『綺麗さび』の精神、きっぱりとした心のきれいさ、その中に漂う格式と優美さを伝えたいと願っている。

百年前、留萌の地に降り立った十八代家元の想い、そして流祖から受け継がれた大和遠州流の精神は弟子達へと伝えられ、綿々と続いている。

『和敬清寂』
清らかで穏やかな、互いに敬う心は、今もこの地にある。

【遠州好みの茶器】
左奥から時計回りに高取、朝日、上野、古曽部。遠州好みとは器物の鑑定を達眼を有していた遠州公が特に賞賛した七つの窯をさす。今も子弟に重用されている。ほかに膳所、志戸呂、赤膚がある。
田中克子さん
田中 克子さん
昭和20年生まれ
留萌市在住

大和遠州流茶道静月流煎茶道
静月会留萌支部 支部長

大なつめ
利休梅蒔絵平目地
(大なつめ)