小杉忠利さんは留萌高校を卒業後、上京。大学では山岳部に所属し北アルプスや南アルプスの名だたる山に挑戦した。「山の魅力は仲間」初めての登山は高校の時に友と登った暑寒別岳だった。この時の楽しかった思い出が次の山へ次の山へと挑ませた。卒業後は大手建設会社に就職し、がむしゃらに働き続けたが脱サラし、測量士の資格を生かして昭和50年に故郷で起業した。それから30年後の平成17年、伊能忠敬の大日本大図展を留萌で開催した小杉さんにひとつの転機が訪れた。資料作成の際に増毛山道を知ることとなった。
今から約150年前に、
その後、小杉さんは平成20年に、伊達家直系の伊達
「増毛山道が整備されれば新たな観光資源、登山ルートが生まれる。蝦夷地の歴史、象徴としての道を子供達が先人の生活を想像しながら歩けたらと」山を愛する小杉さんの夢は広がる。
安政5年、完成間もない増毛山道を松浦武四郎は訪れている。、幕府の命により完成した道の
『蝦夷地、第一の出来映え』
今、まさに先人が踏査、開鑿した道が、現代技術と人々の想いで歴史から掘り起こされる。