木谷家は石川県から増毛町へ入植し農業を生活の糧としてきた。辰雄さ んは三代目、父祖の代が拓いた農地を守りつつ、果樹栽培と山林経営を取り入れてきた。木谷さんが暮らす増毛町湯の沢地区は、その地名が示すように、かつては温泉が湧き、温泉宿もあったほどの温暖な地。さらに、地中には石が多く、水はけが良いため、果樹栽培に適した土地柄だ。
木谷さんは、そうした土地の個性を生かして農業経営を行ってきた。
昭和20年代から10年ほどは食糧難の時代が続き、加えて幾度かの冷害に も見舞われた。木谷さんは一粒でも多くのコメを収穫しようと必死に働い た。その体験を踏まえ、木谷さんが60年以上に及ぶ農業経営の柱としたのが、米、果樹、山林の三本柱だ。現在、果樹はサクランボ、ナシ、リンゴ 合わせて千本以上を育てるまでになった。
「安定的に収益をあげ、家族を養っていくには、どれかひとつだけではなく複合的に経営することが大切だと、若い頃から信じてやってきただけだ」と日に焼けた顔が優しく微笑む。
現在は四代目である息子の辰彦さんに経営を任せているが、80歳を超えてなお、現役として、果樹栽培と山林の手入れのため、日々の作業を欠かさない。
小さな苗木から半世紀をかけて大きく育てる樹木は、木谷さんにとってかけがえのない宝物だ。「木は何も言わないから、こっちが察してやるこ とが大切。木の一本一本に個性がある」と語る。それぞれの木の気持ちを 肌で感じられる木谷さんだからこそ、言葉は必要ないのかもしれない。
丹精込めて育てたサクランボの木が初夏の陽を浴びている。風がそよぎ、木漏れ日が木谷さんに優しく降り注ぐ。
信じた道を歩み続ける、一人の農夫の笑顔が輝いている。