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増毛山道は眠れる宝・・・・・・小杉 忠利さん(留萌市)

踏査。実際にその地へ赴き調べ事実を知ること。
江戸時代後期の測量学者、伊能忠敬(いのうただたか)は50代から日本沿岸を実測、奇しくも忠敬の没年に生まれた松浦武四郎(まつうらたけしろう)は蝦夷地探査に力を尽くした。
増毛の山魂に眠る古道を、今、現代に生きる人々の踏査により甦ろうとしている。

小杉忠利さんは留萌高校を卒業後、上京。大学では山岳部に所属し北アルプスや南アルプスの名だたる山に挑戦した。「山の魅力は仲間」初めての登山は高校の時に友と登った暑寒別岳だった。この時の楽しかった思い出が次の山へ次の山へと挑ませた。卒業後は大手建設会社に就職し、がむしゃらに働き続けたが脱サラし、測量士の資格を生かして昭和50年に故郷で起業した。それから30年後の平成17年、伊能忠敬の大日本大図展を留萌で開催した小杉さんにひとつの転機が訪れた。資料作成の際に増毛山道を知ることとなった。

今から約150年前に、伊達(だて)林右衛門(りんえもん)が私財を投じて開鑿(かいさく)し、増毛と浜益を結んだ山道は、今や草木に埋もれ失われた道となっていた。自社の測量技術を持って、この道の全容を明らかにすれば、地域に貢献することができるのではないかと決断した小杉さんは、ルート上の航空写真を撮影し、その連続写真を元に、人工衛星によるGPSで正確な位置を座標で管理した。
その後、小杉さんは平成20年に、伊達家直系の伊達(あずま)さん(札幌市在住)とともに増毛山道の会を設立。以来、中心メンバーとしてその役割を果たしてきた。今年、地権者である北海道が所有する土地や林地の笹を刈り、別苅~岩尾間16㎞の復元作業を成した。10月16日には実際に山道を関係者らが歩き、今後の利活用について話し合った。

「増毛山道が整備されれば新たな観光資源、登山ルートが生まれる。蝦夷地の歴史、象徴としての道を子供達が先人の生活を想像しながら歩けたらと」山を愛する小杉さんの夢は広がる。

安政5年、完成間もない増毛山道を松浦武四郎は訪れている。、幕府の命により完成した道の見分(けんぶん)に訪れたのだ。松浦武四郎はこんな言葉を残している。
            『蝦夷地、第一の出来映え』
今、まさに先人が踏査、開鑿した道が、現代技術と人々の想いで歴史から掘り起こされる。


笹刈り終えた増毛山道【10月16日撮影】

◆フリーペーパーるもいfan通信 vol.31


小杉 忠利さん
昭和15年生まれ
留萌市在住

小杉測量設計株式会社
代表取締役
NPO法人 増毛山道の会 理事



小【山道に残る電信柱】かつてこの山深い道には電話線が引かれていた。人々の労苦が朽ち果てずに残った一本の電信柱から感じられる。山中には倒壊したものを含め、十数本が残されている。
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