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羽幌炭鉱は第二の故郷・・・・・工藤俊也さん(羽幌町)

留萌管内羽幌町にある羽幌炭坑跡。
今は人の営みの影だけが残るその地には、かつてマチが存在した。

工藤さんは30年間という短い年月、12000人あまりの人々が暮らしたヤマを案内する「ヤマの案内人」である。

工藤さんは昭和34年生まれ。
父は炭鉱にある木材工場に勤めていたが、工藤さんが4歳のときにヤマを去った。
幼い頃の記憶には、明るいヤマの暮らしがあった。
共同浴場、散髪屋、賑わう通り道、そして、大きな劇場。

再びヤマと関わりを持つようになったのは5年前。
羽幌観光の新たなスポットとして、工藤さんが上司に提案したのがきっかけだ。
沿岸ハイヤーに勤務している工藤さんは、非番の時間を利用して、炭鉱跡を訪ね歩き、当時を知る人の話を聴き、膨大な資料を精査して観光ガイドマップを作りあげた。これまでヤマを訪れたのは50組あまりの人々。羽幌炭鉱で暮らした人々が懐かしみつつ訪れるだけではなく、炭鉱に興味のある人、研究者らもいる。

工藤さんにとっての羽幌炭鉱のガイドは、単に仕事として「案内」するだけのものではない。訪れる人の思い出も共に案内している。
あるとき、かなり年配の元炭坑夫とその家族を案内したことがあった。
工藤さんが車で案内していると、草むらを指さし「あそこは銭湯だったな」とつぶやいた。工藤さんが草を分けてその場所へゆくと、確かにそれらしき痕跡があった。その後も次々と当時の街並みを話し始めるその老人の姿に工藤さんは仕事としてではなく、同じヤマの記憶を持つ者同士として、感動を覚えたという。

羽幌炭鉱は今まさに自然に還ろうとしている。
夏には草木に覆われ、その姿を眺めることが困難なこともある。
建物は朽ちても、訪れる人々の心の中の羽幌炭坑は、今も生き続けている。

2010.03.03 羽幌町

工藤さんの想いを「動画館るもい座」でご覧ください。(左写真)
赤々と燃える石炭とだるまストーブ(中央)   かつての選炭工場 (右)
 ◆フリーペーパーるもいfan通信 vol.23「旬の人・工藤俊也さん」
 
工藤 俊也さん

昭和34年生まれ
羽幌町出身
株式会社沿岸ハイヤー勤務
羽幌町文化財調査委員



現在の選炭工場跡


■株式会社沿岸ハイヤー
苫前郡羽幌町南3条2丁目 電話:0164-62-1551

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